カテゴリー: バイク歴史

  • ホンダ モンキーの歴史

    ホンダ モンキーの歴史について

    ホンダ モンキーというモデルが登場したのは、1969年です。
    型番で言うとZ50 Mというモデルが初なのですが、実はモンキーという名前が付いていなくても、原型となるものは同じモデルが前にも存在しています。
    たとえばZ100というモデルは1961年のモーターショーに登場していて、5インチのホイールを使用した極小のバイクでした。
    これは遊園地で使うためのバイクとして開発されたもので、エンジンはスーパーカブのものを流用していました。

    そして、ここから公道でも使えるバイクとしてはCZ100というモデルが開発され、1963年に発売しました。
    このモデルは海外でのみ販売されていましたが、思いのほか人気が高かったため、国内でも販売されることになります。
    これが、1967年のZ50Mなのです。
    そのため、初代モンキーは海外での先行販売がなされたという意外な歴史をたどっているのです。

    他にはないかわいらしいデザインとユニークな走行性能から、あっという間に人気が出てモンキーシリーズが一躍有名になります。
    1969年にはフルモデルチェンジをして、Z50Aとなります。
    8インチのホイールを履くことになり、初代にはなかったフロントサスペンションを装着することで、より走りやすいミニバイクとなります。
    その後も、分割して搬送できるスタイルにしたり、燃料タンクを大きくしたりといろいろな試みをしてきました。

    特に1974年のモデルチェンジでは、リアサスも入れることで誰でもどこでも快適に乗れるマシンに成長しました。
    ここから一般の方でもモンキーに対する意識が高まり、楽しく乗れるバイクとして人気が広がっていったのです。
    そして、一つの戦略としてアフターマーケットパーツが多数販売され、カスタムを楽しむモデルとしても知られるようになります。
    こうして、乗る楽しみに加えてカスタムする楽しみも味わえる一台として人気を高めていきます。

    モンキーの歴代モデル

    モンキーの初期は前述のZ50シリーズとして販売されてきました。
    徐々にボディーの大型化やサスペンションの実装などによって、走行性能をアップさせていった時代です。
    そして、A-Z50Jモデルくらいから、大幅な性能アップがなされていきます。
    たとえば、この時には4速のミッションを搭載したり、マニュアルクラッチをいれたり、エンジン性能をアップさせたりしています。

    そして、1999年には新しい排ガス規制に合わせてパワーユニットを大幅に変え、BA-AB27型として販売がなされます。
    その後2016年には、残念ながら新しい排ガス規制に対応するのが難しいという理由で、シリーズの生産終了が発表されます。

  • マン島TTレースの歴史

    マン島TTレースの歴史

    マン島TTレースとは

    マン島TTレースとは、毎年5月末から6月初めにかけてマン島で開催されるバイクレースのことです。
    マン島はグレートブリテン島とアイルランド島の間にある小さな島で、豊かな自然とTTレースに関連した観光産業が経済の主体となっています。
    TTは「Tourist Trophy」の頭文字から取られたものです。

    マン島TTレースが始まったのは1907年で、当時は1周25kmのコースを自動車と単気筒・二気筒エンジンのバイクが走り抜けるというものでした。
    現在ではコースが大きく延伸してほぼ島全体に及んでおり、1周あたり60.7kmとなっています。
    公道を利用したこのコースは、高低差がおよそ400mもあります。
    このきわめてアップダウンの強いコースを、時速300kmオーバーのバイクが颯爽と駆け抜けていくのです。

    もちろん、コースは直線ばかりではありません。
    大小合わせて200を超えるカーブがコース内にあるため、少しコントロールを失うだけで容易にコースアウトもしくはクラッシュしてしまうのです。
    ですから、スピードだけでなくコーナリングの高いテクニックも求められる非常に難易度の高いコースとして知られています。

    マン島TTレースの大きな転換点となったのは、1976年です。
    度重なるアクシデントによりGPシリーズから除外されてしまった時、参戦可能なバイクの資格が見直され、市販車ベースのモデルでもレースへの参加が認められるようになりました。
    この改定されたルールは現在まで続いています。

    マン島TTレースは「スーパーバイク」や「スーパーストック」など、バイクの排気量および改造の有無に応じて複数のカテゴリに分けられています。
    2009年からは、CO2を排出しないバイクを対象とした「Zeroクラス」が導入されており、日本からは高品質なカスタムパーツの製作で知られる「無限」チームが参戦して好成績を収めています。

    マン島TTレースへ挑んできた日本メーカーの歴史

    イギリスやドイツのバイクメーカーが圧倒的な強さを見せるマン島TTレースへ日本のメーカーが最初に挑んだのは、1959年のことです。
    先陣を切ったのはホンダで、初年度から125ccクラスで入賞するという快挙を成し遂げました。
    とはいえ、世界を驚かせたのはその2年後となる1961年のレースです。
    ホンダは出場した125ccおよび250ccの各クラスで1位から5位までをすべて獲得し、圧倒的な強さを見せました。

    スズキが参戦したのは1960年のことで、1962年には新設された50ccクラスで初代チャンピオンになり、翌年には125ccクラスで優勝しました。
    一方、ヤマハがマン島TTレースに初参戦したのは1961年で、初優勝を飾ったのは1965年でクラスは125ccでした。
    翌年には350ccクラスでも勝利を飾り、日本メーカーの強さを見せつける結果となりました。

  • スーパーバイク世界選手権の歴史

    スーパーバイク世界選手権の歴史

    世界最高峰のバイクレースとしてMotoGPと並び称される存在が、スーパーバイク世界選手権です。
    どちらも世界最高峰のライダーを決めるレースですが、「何が違うのか」「どちらが格上のレースなのか」といった疑問を持たれることも少なくありません。

    前身レースを含めるとすでに70年以上の歴史を持つMotoGPに比べると、このレースの歴史はまだ浅く、第一回が開催されたのは1988年でした。
    ちょうど日本でもバイク・カーレースへの関心が高まっていた頃で、話題になりました。

    ただ、MotoGPと比較するとヨーロッパを主戦場にしているレースとの印象が強く、知名度の点ではやや劣る傾向も見られます。
    日本ではかつて開催されていましたが、2004年以降は開催されなくなっています。

    世界各国を転戦しながら開催される方式で、通常は年間13レースとなっています。
    ユニークな点としては、ひとつの大会で複数の決勝レースが開催される点が挙げられます。

    MotoGPの違い

    どちらもバイクレースの世界最高峰を決める大会、しかもどちらもFIM(国際モーターサイクリズム連盟)公認です。
    となると、「何が違うのか」との疑問が出てくるのものですが、最大の違いは「レースに使用されるバイク」です。

    MotoGPの場合、レースのために開発された専用のバイクが使用されるのに対して、スーパーバイク世界選手権の場合は市販されているバイクをベースにしたものが使用されます。
    つまり私たちが購入できる、または日常的に乗っているバイクがもとになったバイクをプロのライダーが乗っているわけです。

    それから、スーパーバイク世界選手権では先述したようにひとつの大会で2つの決勝レースが開催されます。
    土曜日にまずレース1の予選と決勝を行い、日曜日にレース1の結晶結果に基づいて予選の準備が決められるのです。
    ですから、予選で速いタイムを出せたかどうかだけでなく、決勝の順位によっても最終日のレースのスタートポジションが変わってくるわけです。

    しかもレース1の決勝順位に基づくスタート順位の決定は少々複雑になっており、なんと1~3位のライダーは先頭ではなく4~9位よりも後ろ、3列目からのスタートに設定されます。
    つまり、レース1の予選と決勝で活躍したライダーはかえって不利になってしまう少々複雑な形式となっています。
    予選・決勝両方でよい結果を出したライダーをあえて不利にすることで、レースを面白くすることが目的と言われています。

    それに対し、MotoGPでは予選を行った上で決勝レースが1回だけ行われます。
    MotoGPと同様、こちらでも日本メーカーが活躍しており、とくに近年ではカワサキの活躍が見られます。
    MotoGPではヤマハやスズキ、ホンダが活躍しているのに対してこちらはカワサキ、いずれにしろ日本のバイクメーカーのブランドイメージを世界に知らしめる貴重な機会になっています。

  • MotoGPの歴史

    創設された経緯

    MotoGPは「バイクのF1」とも呼ばれ、バイクのレースにおける世界最高峰の舞台として広く認知されています。
    後述するように、これまでの歴史の中で日本メーカーが活躍しており、日本人にとっても非常に馴染み深い存在となっています。

    創設された経緯は、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の創設にまでさかのぼります。
    設立は1904年、当時は「FICM」という名称でした。

    この前身組織は第2次世界大戦宙に活動停止を余儀なくされたのですが、戦後の1946年には早々と活動を再会、そして1949年に現在のFIMに変更されました。
    そしてこの名称の変更をきっかけに正式な選手権の開催が行われるようになり、MotoGPの前身である第一回ロードレース世界選手権(WGP)が開催されました。

    これがMotoGP創設の歴史であり、この第一回のレースが歴史の第一歩とされています。
    なお、この記念すべき第一回のレースは世界ではじめてバイクのオンロードレースが開催された地としても有名なイギリスのマン島で開催されています。

    このFIMには現在世界80カ国が加盟しており、日本では日本モーターサイクルスポーツ協会が参加しています。
    まさに、世界のバイクレース界にもっとも大きな影響を及ぼしている組織と言えるでしょう。

    イタリアメーカーの時代

    そんな世界選手権ではでは創設当初からイタリアメーカーが圧倒的な強さを見せており、500ccクラスの分野では創設から70年代の半ばまでの四半世紀、26年間の間に24回も優勝しています。
    まさに、「ロードレース世界選手権で優勝したければイタリアメーカーのバイクに乗れ」といった状況だったわけです。
    ただし500cc以外のクラスでは日本メーカーをはじめ各国のメーカーが熾烈な争いを繰り広げており、その後の日本メーカーの躍進の伏線にもなっていました。

    日本メーカーの活躍

    そんなイタリアメーカーの圧倒的な優位のなか、60年代後半ころから日本メーカーの躍進が見られるようになります。
    そしてついに500ccクラスにおいて1975年にヤマハがタイトルを獲得、これが後の日本メーカーの躍進のきっかけとなりました。

    その後ヤマハの好敵手であるスズキ、さらに一時期撤退していたホンダが70年代後半に加わり、2000年代に入るまでなんと31シーズンもの間日本メーカーがタイトルを獲得する圧倒的な強さを見せることになりました。
    このレースによる日本メーカーの活躍は、日本のバイクメーカーのブランドイメージを世界中に知らしめる役割を果たすことになりました。

    MotoGP発足

    2000年代に入ると、ロードレース世界選手権の名称が現在のMotoGPに改められ、排気量も最高クラスで990ccにまで拡大されるなど方針の変化が見られました。
    メーカーの話ばかりを挙げてきましたが、その歴史の中には何度もタイトルを獲得した名ライダーの存在も見逃せません。

    中には複数のメーカーのバイクで複数回タイトルを獲得したライダーもおり、メーカーとライダー双方の進化によってこのレースの歴史が成り立ってきたことをうかがわせてくれます。
    これからの各メーカーが最新の技術を投入し、最高峰のライダーによる最高峰のレースが行われていくことでしょう。

  • オンロードレースの歴史

    オンロードレースとは

    舗装されたコースでレーサーたちが速さと順位を競い合うレースのことを、オンロードレースと言います。
    現在では、バイクのレースといえばオンロードレースをまず連想する方も多いかも知れません。

    それに対し、モトクロスなどで舗装されていないコースで競い合うレースのことをオフロードレースと呼んでいます。
    どちらのレースに参加するかによって、使用されるバイクの種類もまったく異なるわけです。

    なお、オンロードレースには大きく分けて2つのタイプがあります。
    おそらく多くの方がイメージするのが、一つのコースを何回も周回したうえでタイムを競い合うタイプで、純粋に速さが求められるレースです。

    一方、こちらのほうが知名度は高いかも知れません、時間内にコースを何回集会できるかを競う耐久レースです。
    こちらはとにかくレース時間が長く、その間に早く走ることはもちろん、故障やメンテナンスなどによる時間のロスをいかに減らすことができるかが問われれます。
    鈴鹿サーキットで行われる8時間耐久レースがとくに知られています。

    この両者の違いは、参加するレーサーの数にも現れます。
    決められた周回数で速さを競い合うスプリントレースでは、一人のレーサーが一台のバイクに乗って走る形となっています。
    当然といえば当然ですが、これが耐久レースとなると、1台のバイクを複数のレーサーが順番で乗り継ぎながら走らせる形とになります。

    さすがに8時間など長時間の耐久レースともなると、一人のレーサーがずっと走りっぱなしというわけにはいかないからです。
    つまり耐久レースの場合は、個人の速さだけでなくチームとしての速さ、さらにバイクの耐久性など総合力が問われるレースと言えるでしょう。

    歴史の始まり

    こうしたオンロードレースの場合、レースを行うためのサーキット・コースの整備が欠かません。
    その歴史が始まったのは1907年、マン島で開催されたTTレースです。

    イギリスを構成する島の一つであるマン島は現在でもレースで有名なところですが、バイクのオンロードレースの歴史においてもエポックな場所なのです。
    このTTレースは現在でも開催されており、「世界でもっとも危険なオンロードレース」とも呼ばれ世界中のライダーが集結して熱い戦いが繰り広げられています。

    日本のオンロードレース

    サーキット・コースの環境が整備されていくにつれて日本でもオンロードロースが活発に行われるようになり、とくに1980年代から行われる機会が増えています。
    耐久型のレースで有名なのは先ほども触れた「鈴鹿8耐」の愛称でおなじみの8時間耐久レース、ほかには日本一を決定する全日本ロードレース選手権などもあります。
    こうしたトップクラスのレースだけでなく、普段街乗りやツーリングで利用しているバイクで参戦できるレースなども開催されており、バイク好きの人たちが腕を競い合っています。