カテゴリー: バイク歴史

  • オンロードレースの歴史

    オンロードレースとは

    舗装されたコースでレーサーたちが速さと順位を競い合うレースのことを、オンロードレースと言います。
    現在では、バイクのレースといえばオンロードレースをまず連想する方も多いかも知れません。

    それに対し、モトクロスなどで舗装されていないコースで競い合うレースのことをオフロードレースと呼んでいます。
    どちらのレースに参加するかによって、使用されるバイクの種類もまったく異なるわけです。

    なお、オンロードレースには大きく分けて2つのタイプがあります。
    おそらく多くの方がイメージするのが、一つのコースを何回も周回したうえでタイムを競い合うタイプで、純粋に速さが求められるレースです。

    一方、こちらのほうが知名度は高いかも知れません、時間内にコースを何回集会できるかを競う耐久レースです。
    こちらはとにかくレース時間が長く、その間に早く走ることはもちろん、故障やメンテナンスなどによる時間のロスをいかに減らすことができるかが問われれます。
    鈴鹿サーキットで行われる8時間耐久レースがとくに知られています。

    この両者の違いは、参加するレーサーの数にも現れます。
    決められた周回数で速さを競い合うスプリントレースでは、一人のレーサーが一台のバイクに乗って走る形となっています。
    当然といえば当然ですが、これが耐久レースとなると、1台のバイクを複数のレーサーが順番で乗り継ぎながら走らせる形とになります。

    さすがに8時間など長時間の耐久レースともなると、一人のレーサーがずっと走りっぱなしというわけにはいかないからです。
    つまり耐久レースの場合は、個人の速さだけでなくチームとしての速さ、さらにバイクの耐久性など総合力が問われるレースと言えるでしょう。

    歴史の始まり

    こうしたオンロードレースの場合、レースを行うためのサーキット・コースの整備が欠かません。
    その歴史が始まったのは1907年、マン島で開催されたTTレースです。

    イギリスを構成する島の一つであるマン島は現在でもレースで有名なところですが、バイクのオンロードレースの歴史においてもエポックな場所なのです。
    このTTレースは現在でも開催されており、「世界でもっとも危険なオンロードレース」とも呼ばれ世界中のライダーが集結して熱い戦いが繰り広げられています。

    日本のオンロードレース

    サーキット・コースの環境が整備されていくにつれて日本でもオンロードロースが活発に行われるようになり、とくに1980年代から行われる機会が増えています。
    耐久型のレースで有名なのは先ほども触れた「鈴鹿8耐」の愛称でおなじみの8時間耐久レース、ほかには日本一を決定する全日本ロードレース選手権などもあります。
    こうしたトップクラスのレースだけでなく、普段街乗りやツーリングで利用しているバイクで参戦できるレースなども開催されており、バイク好きの人たちが腕を競い合っています。

  • 世界最初のバイクはベンツが作った

    ベンツの作ったバイク

    スズキやカワサキ、ヤマハ…バイクと言えば日本メーカーを連想する方も多いと思いますが、世界で最初にバイクを作ったのは実はベンツ(現ダイムラー)です。
    自動車メーカーとしてのイメージが強く、しかも重厚な車を世に送り出す印象があるだけに、バイクをいち早く手掛けていたと聞くと意外に感じる方もいらっしゃるかもしれません。

    面白いことに、ベンツの創始者(正確には、前身の会社となるダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社)であるゴットリープ・ダイムラー氏は、車よりも先にバイクを作ろうと考え、実際に制作して特許まで取得しています。
    これが1885年のことで、今から140年ほど前の話となります。

    スペックはどんなものだったか?

    140年近く前のバイクですから、現在のバイクのイメージで考えるとちょっと肩透かしを食うかも知れません。
    この世界最初のバイク「リートワーゲン(Reitwagen)」は、実験の際にダイムラー氏が息子を後ろに乗せて走らせたと言われており、その速度は時速10km程度と言われています。

    出力は264ccの0.5馬力で、当時としては最先端の技術を採用したうえでのスペックでした。
    現在の視点から考えると、「自転車よりも遅い」「それどころか走ったほうが速い」と残念に思う方も多いかも知れません。

    試作で終わる

    実は、これはあくまで試作だけで終わってしまいました。
    商品として成り立つのは難しいと判断されたのでしょう。

    その後ダイムラー氏は四輪車の製造に取り組み、こちらは見事に製品化に成功し「世界最初の自動車を作ったメーカー」の栄誉を手にすることになりました。
    そしてベンツは自動車メーカーの道を歩み続け、現在でも高い評価を得ているとともに、バイクと結び付けられる機会がほとんどない状況になっています。

    では、製品化・量産化されたバイクはどこか最初なのでしょうか。
    さぞかし有名なメーカーが実現したのかと思いきや、市販化に成功したのはヒルデブラント&ヴォルフミュラーという会社で、1894年のことでした。
    ベンツによる試作から10年弱の間に速度は時速45kmと飛躍的に向上しており、排気量は1499ccとなりました。
    かなり重厚な印象があるとはいえ、当時かなり話題になったようで3000台ほど売れた記録が残っています。

    ちなみに、日本最初のバイクはそれからさらに15年後の1909年、島津楢蔵という人物が製造した「NS号」というものでした。
    それ以前に1896年の段階で先述した世界最初のバイクが日本に輸入されていましたが、当時はあまりにも効果だったために普及することはなかったようです。
    日本で本格的なバイクの普及が見られるようになるのは戦後になってからで、特に本田宗一郎率いるホンダが「庶民の足」としてバイク開発を手掛けたのがきっかけと言われています。

  • BMWのバイクの歴史

    元は航空機工業?BMWのバイクの歴史

    BMWと言えば世界を代表するバイクメーカーの一種ですが、元々はバイクメーカーとしてでは無く、航空機工業にエンジン工業の会社が元となっています。
    ラップエンジン工業とグスタフオットー航空機工業という二社が合併した後に誕生した、バイエルン航空機工業という会社が誕生したことがきっかけです。

    航空機会社と言っても侮ることはできません。
    航空機生産の全てを担っている会社だったからこそ、オートバイで必要なパーツも自社製造が可能で、高性能なマシンを製造することに繋がっています。
    航空機会社の時に取り付けられていた青と白のエンブレムが現在のBMWのエンブレムにも採用されており、エンブレムにもその血は受け継がれているのです。

    第一次世界大戦後からオートバイ生産へと移行

    航空機エンジンの開発を中心に製造業を行っていた前企業は、第一次世界大戦後から徐々にオートバイ生産へと移行していきます。
    ドイツに配線した後に飛行機の生産が制限されたことがきっかけとなったのですが、モーターサイクルエンジンは元々製造を行っていたこともあり、生産当初から多くの企業の受注を受ける事になるのです。

    当初から最新技術を駆使したハイスペックなエンジンを発表しており、エンジン製造を中心に行った後、オリジナルマシン開発にも着手。
    基本設計からこだわりを詰め込んで製造されたファーストモデルとして現在も愛されているのが、R32です。
    こちらのマシンはBMWの特徴である水平対向2気筒、シャフトドライブの性能を惜しみなく入れ込み、多くのライダー心を掴むことになりました。

    戦国時代を勝ち抜いたBMW

    R32発売当初はモーターサイクルの絶世期。
    ライバル会社がひしめき合っておりバイクの戦国時代と言っても過言ではありませんでしたが、その中でも輝きを放ち続けたのがBMWです。
    レース参戦当初こそ戦績を残す事が難しかったメーカーですが、R32に改良を加えた結果誕生したR37の開発が行われたことで歴史が一変します。

    他社を圧倒する圧倒的走りを見せつけレースで初めての優勝。
    イギリスにて世界で最も過酷なレースとして知られるISDTに出場し、そこでも金メダルを獲得することとなったのです。
    圧倒的な走りを見せつけその後も多くのレースで成果を上げ、世界各国にその名を轟かせることになりました。

    その後バイクメーカーとしてだけではなく、1928年には自動車の生産もスタート。
    バイクと同じく高級車両メーカーとしてもその名を轟かせることとなり、国内外を問わずに多くの人々を虜にしています。
    エンジンを利用した乗り物を網羅する勢いで開発を続け、現在に至るまで飛躍を続けているのが、BMWの特徴でしょう。

  • KTMのバイクの歴史

    ファッション感覚で楽しめるKTMバイクの歴史

    オレンジ色のポップなカラーが印象的なマシンは、モノトーンでクールなバイクまで、まるでファッション感覚で楽しめるデザイン性の高いバイクを輩出しているのがKTMです。
    元々KTMは1953年に、自動車修理工場で働いていたH・トウルケンポルツと、出資者のE・クローノライフの2人によって作られました。
    社名はそれぞれの頭文字にプラスして、創業の地であるオーストリアのマッティングホーフェンの街名の頭文字を取って作られています。

    創業をしてから積極的にモータースポーツへ参加していたKTM。
    エンデューロレースやロードレースなど世界的レースにも参加し、レースに特化したハイスペックマシンを次々に発表しています。
    中でもKTMフレームを搭載した125ccマシンは現在でもマニアの間で人気があり、その名を轟かせているのです。

    倒産を経て復活を果たす

    KTMはその後もオフロードレースを中心に積極的に参加し順調にファンを獲得し続けていましたが、1度倒産の憂き目にあいます。
    経営状況の悪化など色々な理由がありましたが、倒産後3社に分岐してラジエーター制作など各種部門にて製造を続け、2005年には完全復活を遂げたのです。

    このことをきっかけに8万台のオートバイを世界各国に輸出をし、更なるファン獲得に成功します。
    2014年にはフサベル、ハスクバーナが統合したことでハスクバーナとなり、子会社化する事となりましたが、経営状態は安定し積極的にマシン製造を続けているのです。

    その後も創業当時の信念を忘れずにモータースポーツには積極的に参加。
    最新技術を詰め込んだマシンを作り挙げオフロードレースを中心に積極的に参加をし、2001年レース復帰後2019年まで連覇を果たし王者として君臨し続けています。
    新型パーツを積極的に搭載したマシンはとにかくパワーとスピードバランスに特化しており、他社を寄せ付けないマシンに仕上っているのです。

    豊富な車種を用意して国内外を問わずに定着

    ミニサイクルやモトクロス、ネイキッドなどのレースに特化したマシンを中心に、スーパーモータード、トラベル、四輪など各種車種を取り揃えています。
    いずれのマシンも非常にハイスペック、ファンだけではなく多くのライダー心を掴むマシンを作り挙げているのです。
    製造しているだけではなく現在も様々なレースに積極的に参加しており、例年最新技術を取り込んだマシンを作り挙げています。

    見た目だけのバイクでは無く性能の部分も非常に高く、ファッション感覚としてだけではなくマシンそのものを楽しめるでしょう。
    走りが好きなライダーはもちろん、スピード重視、性能重視なライダーにも愛され続けているバイクメーカーです。

  • ドゥカティのバイクの歴史

    世界的シェアも多いドゥカティの歴史

    国内外を問わずに愛されているバイクメーカーの一種と言えばドゥカティを忘れてはいけません。
    歴史を遡ること90年以上前、ボローニャに住む3人の兄弟によって設立されたバイクメーカーがきっかけとなっています。
    アドリアーノ、ブルーノ、マルチェッロ・ドゥカティが、その父アントニオに支援を受けて会社を設立し、ドゥカティを立ちあげました。

    当時は兄弟3人で経営を行い、社員2名、秘書1名という小規模会社として誕生したところから歴史が始まります。
    経営もボローニャの小さな研究所を使って行われ、ひっそりと経営をしていたのです。
    ファミリー経営のブランドとして小さく誕生した会社が、世界屈指のバイクメーカーとして定着するまで至っています。

    コンデンサー制作から始まった

    今でこそドゥカティと言えばバイクというイメージがありますが、会社設立当時はコンデンサー制作を行っていました。
    コンデンサーと言っても侮ることができず、当時衝撃的な1ユーロコイン程度のハイスペックなパーツを作りだし、世に衝撃を与えたのです。
    このことをきっかけにコンデンサーの生産数が急激に伸び数年後に売り上げも急上昇した結果、小さな研究所から工場へと移り住みます。

    コンデンサーに留まらずカメラやラジオ、計算機など様々な商品を作り挙げ、ドゥカティの名はどんどん世に広まります。
    この当時はバイクを全く作っていませんでしたが、名実ともにイタリアを代表するメーカーとなったドゥカティは、1936年に社員数が1000人を越えるまでの規模へと発展。
    順調に成長を続けていたのですが、第二次世界大戦の荒波に巻込まれ、1度工場が破壊されるという大事件に至ってしまいます。

    不屈の精神で復活したドゥカティ

    戦後ドゥカティは、不屈の精神で急成長を遂げ、4ストローク原動機付き自転車を作り挙げます。
    徐々にモーターサイクルを製造する企業へと発展を遂げ、途中二社に分岐するなどの転換がありましたが、順調に成長を続けました。

    ドゥカティを代表するL型2気筒エンジン、トリレスフレーム、デスモドロミック・システムなど最高発明を誕生させ、レースにも参戦。
    積極的にレースに参加することで世界にもその名を轟かせることとなり、トップレベルのバイクメーカーとして君臨することとなりました。
    最先端技術を惜しみなく入れたマシンは他メーカーを圧倒し、輝かしい戦績を残したのです。

    このようにドゥカティは元々はバイクメーカーとしてでは無く、様々な製品を製造する企業として誕生しました。
    その時に培われた技術が、ドゥカティの最先端技術を搭載するマシンを作り挙げるきっかけになったと言えるでしょう。