カテゴリー: バイク歴史

  • ハーレーダビッドソンのバイクの歴史

    100年を越える歴史をもつハーレーダビッドソン

    ハーレーダビッドソンの歴史は1901年にまで遡ります。
    自動車工場で働いていたウィリアム・S・ハーレー氏と、同じく自動車工場で働く親友のアーサーダビッドソンと共に、エンジン付き自転車を作ろうと志したところから全てが始まりました。
    2年という月日をかけて二人が作りだしたエンジン付き自転車が、ハーレーダビッドソンの第1号車として誕生し、二人が会社を立ちあげるきっかけとなったのです。

    会社を立ちあげたその年には生産台数もその一台のみとなりましたが、そこから更に試行錯誤を重ねて次々に新しいマシンを開発。
    創立5年後には生産台数150台、翌年には450台、1911年には5千台にまで達し、売り上げ共にうなぎ上りとなり、ハーレーダビッドソンのブランドを確立したとされています。
    会社名を見ても分かるとおり、元々は仲の良い少年二人が集まってできた夢が、今に至るまで形として残っている会社なのです。

    OHVエンジンにて更に躍進

    ハーレーダビッドソンの象徴とも言えるパーツの1つ、OHVエンジンのナックルヘッドが開発されたのが1936年のこと。
    冷却効果が高くフリーメンテナンス性が高い、バイク好きには堪らないエンジンとして愛され続け、ハーレーダビッドソンの名をより広く世に知らしめることとなりました。
    こちらのエンジンモデルはマニアの間で現在でも高値で取引されており、ハーレーダビッドソンを代表するパーツの1つとして定着しています。

    そうして着実に開発と進歩を続けて来たハーレーダビッドソンですが、1969年に1度、大手企業へと合併吸収されることになりました。
    当時企業買収が盛んに行われており、自社を買収されないようにとった苦肉の策ではありましたが、結果としてこの策が功を奏すことになります。
    1971年にはダビッドソン家の孫にあたるウィリアム氏が新作モデルを発表し、歴史に残る名車を誕生させ、そのことをきっかけに新たに独立への道を踏み出す事に成功したのです。

    今なそ進化を続けるハーレーダビッドソン

    こうして会社設立から吸収合併、更なる独立と怒濤の歴史を築き上げてきたハーレーダビッドソンですが、現在も多くの名車を世に輩出しています。
    パーツはもちろんのことマシン一つ一つへの並々ならぬこだわりと情熱が、現在に至るまで多くのオーナーを惹き付けているのです。
    過去にとらわれずに積極的に開発、成長を続けることで、ハーレーダビッドソンは多くの細心モデルを誕生させています。

    そのソウルは国内外を問わずに愛されており、日本も例外ではありません。
    ハーレーダビッドソンをこよなく愛する日本人ファンも多く、国内でも多くのライダーが乗るマシンとして定着しています。

  • カワサキのバイクの歴史

    多くのファンがいるカワサキ

    カワサキといえばNinjaやゼファーといった長く愛されているバイクが多くあります。
    ライムグリーンのボディと挑戦的なバイク製作で根強いファンが多くいるメーカーです。

    元々は1950年に製鉄部門を分離して川崎製鉄を設立したことから始まります。
    1952年からヘリコプターの製造を始め、軍用機生産が戦前の航空機産業の中心となっていたのですが、終戦とともにヘリコプターの製造は下火になっていきます。
    さらに航空機の生産は講和条約によって禁止がされてしまいました。

    そこで、川崎重工業、川崎車輌、川崎航空機工業を合併し、再編成をすすめます。
    これによってロボット製造やトンネル掘削機などいろいろな分野で機械の製造をしています。
    しかし、やはり一番話題となるのは常にバイクのことです。

    川崎重工とバイク

    川崎重工の魅力といえばバイクです。
    ロングヒットしている単車が多くあるというメーカーは時代に左右されず常に一貫した良質なバイクを製造し続けている証拠でもあります。
    それと同時に時代に順応したモデルチェンジもして自分たちの信念を持ちつつもニーズに合ったバイクを製造しているからこそこのような人気バイクが作られ続けているといえます。

    1958年から本格的に二輪車用のエンジンを製造し、1964年に大型二輪車メーカーである目黒製作所(メグロ)を吸収して大型車の製造に進出をすることとなりました。
    2007年にはモーターサイクル部門は川崎重工の売上高の3割を占めるようになり、国内四台バイクメーカーの中でも常に4位というイメージが持たれていましたが、今ではシェアが軽二輪部門では2位に浮上しており、確実に日本を代表するバイクメーカーと成長を遂げています。

    カワサキ・ニンジャシリーズ

    ニンジャシリーズというのはカワサキのバイクでも主力といえるバイクであり、大人気のモデルでもあります。
    世界的に自動車排出ガス規制が強化されていることで継続生産者については生産が不可能となっています。
    そのような背景で2007年に発表されたのがNinja・250Rです。

    搭載されているエンジンは直前まで販売されていたZZR250と同様の水冷4ストローク並列2気筒DOHCです。
    このエンジンは長く使われてきたシリーズですが、ニンジャシリーズを作るために改良されて搭載されています。

    エンジン以外でも変更点がそれぞれ作られており、キャブレターに変わるフューエルインジェクションも採用されていますし、排出ガス規制に対応するためにもキャタライザーも搭載されています。
    誕生してからカラーバリエーションの変化もありつつも、2012年モデルから二代目にフルモデルチェンジをします。
    車名の末尾に合ったRが亡くなったこと、デザインが作新されたものへとチェンジしています。

    この新型モデルはとても人気を集め、予告段階で注文が殺到してしまい、販売計画台数を3日で売り切るという快挙を成し遂げました。
    これはカワサキがバイクメーカーとして周囲から強く評価されたことの表れでもあり、人気バイクメーカーへと成長したと実感するエピソードでもあります。

  • トライアンフのバイクの歴史

    世界最古のオートバイメーカー、トライアンフ

    トライアンフはイギリスにある世界最古のオートバイメーカーです。
    バイクが好きな人ならば誰もが一度はトライアンフのバイクに乗ることにあこがれるものでもあります。
    イギリスでは1900年初頭から常に個性的なバイクを輩出し続けています。

    エンジンや振動音までもこだわって作られているとても丁寧に作られているバイクとしても定評があります。
    伝統的な技術を持っているだけでなく、常に注目を集めるようなデザインも追及しており革新的なオートバイメーカーとも言われています。

    このようにトライアンフが人気メーカーとなったのは1950年代から60年代にかけてです。
    このころからハリウッドスターが乗りこなす姿がよくみられるようになり少しずつ興味を持つ人が増え、さらには地上最高速度を更新したりレースで好成績を残したりしたことでも知名度が上がり今の憧れブランドへと成長したのです。

    トライアンフのターニングポイント

    トライアンフは1902年に設立されており、現存するバイク製造メーカーでは最古のバイクメーカーです。
    長くこだわったバイクを製造してきて少しずつ名実ともに世界的なメーカーとなってきましたが、大きくシフトチェンジをしたのが1991年からでターニングポイントとなります。

    今までの伝統を守りつつも最新の設計技術や生産設備を導入して生まれ変わったのです。
    伝統を引き続けつつも個性的なデザインを融合させたことで新しく生まれ変わりました。
    ここからさらにトライアンフが成長していくことに期待が持たれています。

    デイトナ675R

    2006年に初期モデルが登場したデイトナ675は日本で新型のデイトナ675が発売されています。
    デイトナらしさと胃荒れていたマフラーも含めパーツの多くが新しく設計されなおして発表されており話題となりました。

    ここ数年600㏄クラスのバイクの中でも革新的な変化を遂げているのはデイトナ675であるといえるほどフルモデルチェンジをしているものです。
    フルモデルチェンジをしていることで日本市場で戦うためにほかのバイクと差別化を図るとともにバイクの性能としてももちろん成果を修めています。

    いままでのシリーズの中でもこのようなモデルチェンジのことは初めてのことでした。
    新しいことに挑戦するというのは賛否両論あるものですが、デイトナについては優秀なブラッシュアップができていると高評価を得ています。
    そして、今回のモデルチェンジによって今後の成長についても期待が持たれており、さらに成長するバイクメーカーであると世界のバイカーから期待をされています。

  • ヤマハのバイクの歴史

    楽器メーカーとしても知られているヤマハ

    ヤマハは日本のバイクメーカーの一つですが、楽器メーカーとしても有名です。
    国産四大バイクメーカーの一つでもあり、正式名称はヤマハ発動機株式会社です。
    社名の由来は創業者の山葉寅楠の名前です。

    ヤマハ発動機は楽器製造を行っていたヤマハから1955年に分離する形でスタートをします。
    そのため、ヤマハというのは楽器部門とバイク部門とがあることになります。

    そこで両者を分類するためにYAMAHAというアルファベット表記や音叉のマークといった違いを作っており、このロゴで見分けることが可能です。
    ロゴはMの字の真ん中にある谷の部分が下まで伸び切っていないものがヤマハ発動機であり、音叉マークは持ち手が円に被っているものがヤマハ発動機のものです。

    ヤマハの歴史

    ヤマハの試作車が誕生したのは昭和29年のことでした。
    社長である川上源一が自ら浜名湖を周回してテスト走行を実施しました。

    このころ、浜松ではオートバイメーカーが乱立しメーカーの淘汰される厳しい時代でした。
    そこで川上は工作機械を浜北町の浜名工場へ移してオートバイ生産を本格的に開始して取り組むようにしました。

    ヤマハが登場した時にはすでに有名メーカーが代表となるオートバイを製造しており、ヤマハは楽器メーカーが後発的に製造したオートバイというイメージが持たれていました。
    しかし、第三回の富士登山レースにてヤマハの開発したオートバイである「YAMAHA125(YA-1)」が初登場で優勝をし、これがヤマハを有名にしたきっかけとなりました。

    このYAMAHA125(YA-1)は赤とんぼという愛称で爆発的な人気を集め、大量に発注を受けることになりました。
    こうしてヤマハはオートバイ製造を始めてたった1年で日本のトップブランドへと成長を遂げるのです。

    その後、昭和30年にはオートバイの生産部門を完全に楽器部門と分離させて浜名工場にヤマハ発動機を設立し、昭和47年から本社と生産拠点を磐田市へ移転します。
    現在は旧ヤマハ発動機本社跡は浜北工場となっていますし、ヤマハ発動機本社には展示施設がありヤマハの歴代オートバイを見ることもできます。

    評価の高いバイクを作り続けるヤマハ

    ヤマハは楽器メーカーというイメージもありますし、生産台数が日本一でもないためヤマハがどういったメーカーかわからないという人も少なくありません。
    品質や耐久性といったものではほかのメーカーに劣っている部分もありますが、それを補うほどに美しい車両がヤマハの特徴であり人気の理由です。

    実際にその美しさは高く評価を受けておりロングライフデザイン賞を受賞しています。
    そのビジュアルの美しさは日本だけでなく海外でも高く評価されており、海外でもヤマハは高いデザイン性のバイクメーカーという位置づけがされています。

  • スズキのバイクの歴史

    四台バイクメーカーの一つであるスズキ

    スズキは日本のバイクメーカーの中でも国内四大メーカーのひとつとされているメーカーです。
    創業者は鈴木道雄で社名も創業者に起因しています。

    バイク以外にも自動車の製造でも大きな活躍を見せています。
    特に軽自動車については国内販売台数1位を争う大きなメーカーです。

    スズキの歴史

    スズキは創業者の鈴木道雄が1909年に浜松で鈴木式織機製作所を創業したことが始まりです。
    織機の生産をする中で精密機械の加工技術を蓄積していき、戦後の自動車補助エンジンブームの中でバイクの開発を1950年からおこなうようになりました。

    このような開発が行われるようになったのは二代目の社長である鈴木俊三が「好きな釣りに行くのに自転車にエンジンが付いていると楽に行くことができる」と考えたことがスタートでした。
    そのため製造をしたのは排気量36ccの自転車補助エンジンのものでした。

    そこで開発されたのが1952年に誕生したパワーフリー号です。
    この当時の浜松はオートバイメーカーがどんどんと生まれいろいろなオートバイが誕生していたのでニーズにもこたえて排気量60㏄のダイヤモンドフリーも開発がされ生産がされるようになりました。

    その後1954年から鈴木自動車工業株式会社に改名し、翌年にコレダ号を開発します。
    このときから四輪自動車分野も進出をして開発をスタートさせます。

    ダイヤモンドフリー

    スズキのオートバイの歴史の中でも重要な位置づけがされているバイクの一つがダイヤモンドフリーです。
    ダイヤモンドフリーはスズキがレースに積極的に参加をしている中で、富士山登山レースに優勝、北海道鹿児島間の3000キロメートルを無事故走破したことで一躍話題となったものです。
    当時の道路交通法では無試験で乗ることのできることで人気となりました。

    開発するにあたってかかった期間はたったの2か月でありながらとても性能が良いことで周囲を驚かせた機種でもありました。
    最大速度としては時速60キロも出すことができた本格的な機種でもあったのです。

    オリジナリティの強いメーカー

    スズキのオートバイは常に他社とは違う一癖あるものが生産されていることで話題となってきました。
    しかし、そういったものばかりを作るのではなく実用性が高くコンパクトでリーズナブルなオートバイの生産についても熱心に取り組んでいます。

    このような自社として信念を持ちユーザー目線に立ってバイクを製造していることがスズキの強みであり魅力であるといえます。
    このようなブランディングをしていることで熱狂的なスズキユーザーを生み長く愛されるオートバイメーカーとなっているのです。