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  • カワサキ KZ1000S1の解説

    カワサキ KZ1000S1とは

    カワサキ KZ1000S1とは、川崎重工業が1982年から1983年にかけて製造販売されたオートバイのことです。
    市場ではカワサキ KZ1000S1 とカワサキ Z1000Rという二通りの表記があります。
    これはKZ1000S1が北米仕様車でありZ1000Rがそれ以外の仕様であることを意味しているものです。

    カワサキの4ストロークビッグバイクであるZシリーズはチューニングへの耐久性が高いといわれており、ヨーロッパ耐久選手権やAMAスーパーバイクでの活躍でも実証されています。
    耐久レースにカワサキが挑戦を始めたのは1970年代後半からのことでした。
    Z1シリーズをベースにして参戦を続け、1974年から1975年まで耐久王者に君臨しました。

    カワサキが81年にこれをベースマシンとして登場させたのがカワサキ KZ1000Jです。
    これはチャンピオンを獲得し、その記念モデルとして制作されたのがカワサキ KZ1000S1なのです。
    そして、この行動モデルとなるのがZR1000Rとなります。

    アメリカのカワサキが企画したモデルであり生産台数も少ないですが、マシンのスペックとして扱いやすいところが特徴です。
    力強い走りをすることができ、大きなボディーに合った疾走感がありつつも乗りやすいということでも人気を集めた機種でもありました。

    カワサキ KZ1000S1のファンは多くいる

    カワサキ KZ1000S1はAMAスーパーバイクから歴史があるものであり、今でもカワサキファンはもちろんオートバイ好きの間で名品と言われるバイクです。
    カワサキの代名詞ともいえるライムグリーンのボディと美しいシルエット、性能の高さから購入して乗りたいと考える人はもちろん、乗ることが難しくても自宅に飾るために購入したいと考える人がいるほど大人気のバイクでもあります。

    そのため、カワサキ KZ1000S1を売却するという人が出ればオークションが開催され落札金額がどのくらいになるのか注目されますし、開催地が海外であっても訪問してオークションに参加するというくらい熱狂的なファンを集めています。

    国内でも中古バイク店で取り扱いをしているところがあり、実際に購入して走行しているという人もいます。
    バイクの購入価格は中古品でもカスタムをしているタイプのものや状態の良いものであれば300万円を超えるものもあり、カワサキのオートバイを新車で購入するよりも高いことも多くあるほどです。

    後世に残したい名機と言われているほど優秀なバイクですし、限定車両として販売されていたモデルもあります。
    そのためこのような価格が中古品でもつけられるのです。

  • ヤマハ FZ750の解説

    ヤマハ FZ750とは

    ヤマハ FZ750とはヤマハ発動機が1985年に販売したオートバイです。
    5バルブDOHC直列4気筒を用いた斬新なレイアウトは、GENESISという名前で親しまれています。
    >>1985年式 FZ750の諸元・スペック情報 | ウェビック

    昭和60年の登場時には750㏄クラスの中では最軽量を誇っていたのですが、この年の秋にはレーサーレプリカがブームとなりクラス最軽量はスズキに圧倒的な差で奪われてしまいました。
    そのため、翌年にはFZR750にバトンタッチをすることで国内ではヤマハ FZ750は短命に終わったという印象が持たれています。

    しかし、国外ではとても評価が高く使いやすいベーシックスポーツということで1994年まで世界で39000代も製造販売をされている実績のあるモデルです。
    警察仕様としても使われており、世界各地の警察で白バイとして1997年まで製造がされてきました。

    長く人気を集めてきたヤマハ FZ750

    ヤマハ FZ750はヤマハ発のスポーツビッグバイクであったこと、鈴鹿の8時間耐久レースに出場したマシンであることなどから今でも多くのファンがいるモデルです。
    ヤマハのバイクらしく見た目の美しさは特に注目を集め、バイクのビジュアルとしてはとても美しいものでした。

    このフォルムは本物のレーシングマシンに近いものであり、最新の機能を持ち合わせつつも16インチと前輪を小径化したことによってコーナリングパフォーマンスの向上は特に多くの人に感銘を与えたものでした。
    このコーナリングの美しさからコーナリングにこだわる人が増えたりコーナリングにバイクメーカーがこだわる傾向が生まれた背景もあるほど多くの人たちに影響を与えました。
    そして、ここからハンドリングのヤマハと言われる歴史が始まったのです。

    もちろん、バイクの性能としても優秀であり「ジェネシス」エンジンはのちのFZRシリーズにも受け継がれています。
    当時としてはトップを誇る性能とヤマハらしい美しいビジュアルからヤマハファンの中では名機と言われるバイクの一つです。

    乗れば高速で安定感が大きくすぐに力強く加速するエンジンに多くの人が驚きました。
    16インチのタイヤとエンジン性能とが生み出すハンドリング性能の高さはヤマハ FZ750の魅力であり、従来の16インチのものでは味わえないハンドリングの安定感でした。
    ただ乗るバイクとしてではなく乗って楽しめるバイク、ユーザーがツーリングに出かけてハンドリングを楽しみながら走ることができるバイクとしてバイクの魅力を世間に伝えたバイクでもあるのです。

    このようなヤマハにとってターニングポイントとなるバイクでもあったため今でも愛用者がいるほど人気のバイクとなっています。
    センスの良いボディは今でも色あせることなく後継車に見劣りすることもありません。
    実際、今でも走行しているバイクがあるほど、メンテナンスを続けて愛用している人もいるくらいヤマハ FZ750は根強いファンがいるバイクなのです。

  • ヤマハのバイクの歴史

    楽器メーカーとしても知られているヤマハ

    ヤマハは日本のバイクメーカーの一つですが、楽器メーカーとしても有名です。
    国産四大バイクメーカーの一つでもあり、正式名称はヤマハ発動機株式会社です。
    社名の由来は創業者の山葉寅楠の名前です。

    ヤマハ発動機は楽器製造を行っていたヤマハから1955年に分離する形でスタートをします。
    そのため、ヤマハというのは楽器部門とバイク部門とがあることになります。

    そこで両者を分類するためにYAMAHAというアルファベット表記や音叉のマークといった違いを作っており、このロゴで見分けることが可能です。
    ロゴはMの字の真ん中にある谷の部分が下まで伸び切っていないものがヤマハ発動機であり、音叉マークは持ち手が円に被っているものがヤマハ発動機のものです。

    ヤマハの歴史

    ヤマハの試作車が誕生したのは昭和29年のことでした。
    社長である川上源一が自ら浜名湖を周回してテスト走行を実施しました。

    このころ、浜松ではオートバイメーカーが乱立しメーカーの淘汰される厳しい時代でした。
    そこで川上は工作機械を浜北町の浜名工場へ移してオートバイ生産を本格的に開始して取り組むようにしました。

    ヤマハが登場した時にはすでに有名メーカーが代表となるオートバイを製造しており、ヤマハは楽器メーカーが後発的に製造したオートバイというイメージが持たれていました。
    しかし、第三回の富士登山レースにてヤマハの開発したオートバイである「YAMAHA125(YA-1)」が初登場で優勝をし、これがヤマハを有名にしたきっかけとなりました。

    このYAMAHA125(YA-1)は赤とんぼという愛称で爆発的な人気を集め、大量に発注を受けることになりました。
    こうしてヤマハはオートバイ製造を始めてたった1年で日本のトップブランドへと成長を遂げるのです。

    その後、昭和30年にはオートバイの生産部門を完全に楽器部門と分離させて浜名工場にヤマハ発動機を設立し、昭和47年から本社と生産拠点を磐田市へ移転します。
    現在は旧ヤマハ発動機本社跡は浜北工場となっていますし、ヤマハ発動機本社には展示施設がありヤマハの歴代オートバイを見ることもできます。

    評価の高いバイクを作り続けるヤマハ

    ヤマハは楽器メーカーというイメージもありますし、生産台数が日本一でもないためヤマハがどういったメーカーかわからないという人も少なくありません。
    品質や耐久性といったものではほかのメーカーに劣っている部分もありますが、それを補うほどに美しい車両がヤマハの特徴であり人気の理由です。

    実際にその美しさは高く評価を受けておりロングライフデザイン賞を受賞しています。
    そのビジュアルの美しさは日本だけでなく海外でも高く評価されており、海外でもヤマハは高いデザイン性のバイクメーカーという位置づけがされています。

  • スズキのバイクの歴史

    四台バイクメーカーの一つであるスズキ

    スズキは日本のバイクメーカーの中でも国内四大メーカーのひとつとされているメーカーです。
    創業者は鈴木道雄で社名も創業者に起因しています。

    バイク以外にも自動車の製造でも大きな活躍を見せています。
    特に軽自動車については国内販売台数1位を争う大きなメーカーです。

    スズキの歴史

    スズキは創業者の鈴木道雄が1909年に浜松で鈴木式織機製作所を創業したことが始まりです。
    織機の生産をする中で精密機械の加工技術を蓄積していき、戦後の自動車補助エンジンブームの中でバイクの開発を1950年からおこなうようになりました。

    このような開発が行われるようになったのは二代目の社長である鈴木俊三が「好きな釣りに行くのに自転車にエンジンが付いていると楽に行くことができる」と考えたことがスタートでした。
    そのため製造をしたのは排気量36ccの自転車補助エンジンのものでした。

    そこで開発されたのが1952年に誕生したパワーフリー号です。
    この当時の浜松はオートバイメーカーがどんどんと生まれいろいろなオートバイが誕生していたのでニーズにもこたえて排気量60㏄のダイヤモンドフリーも開発がされ生産がされるようになりました。

    その後1954年から鈴木自動車工業株式会社に改名し、翌年にコレダ号を開発します。
    このときから四輪自動車分野も進出をして開発をスタートさせます。

    ダイヤモンドフリー

    スズキのオートバイの歴史の中でも重要な位置づけがされているバイクの一つがダイヤモンドフリーです。
    ダイヤモンドフリーはスズキがレースに積極的に参加をしている中で、富士山登山レースに優勝、北海道鹿児島間の3000キロメートルを無事故走破したことで一躍話題となったものです。
    当時の道路交通法では無試験で乗ることのできることで人気となりました。

    開発するにあたってかかった期間はたったの2か月でありながらとても性能が良いことで周囲を驚かせた機種でもありました。
    最大速度としては時速60キロも出すことができた本格的な機種でもあったのです。

    オリジナリティの強いメーカー

    スズキのオートバイは常に他社とは違う一癖あるものが生産されていることで話題となってきました。
    しかし、そういったものばかりを作るのではなく実用性が高くコンパクトでリーズナブルなオートバイの生産についても熱心に取り組んでいます。

    このような自社として信念を持ちユーザー目線に立ってバイクを製造していることがスズキの強みであり魅力であるといえます。
    このようなブランディングをしていることで熱狂的なスズキユーザーを生み長く愛されるオートバイメーカーとなっているのです。

  • ホンダのバイクの歴史

    二輪からスタートをしたホンダ

    ホンダと言うとF1のイメージがあるために四輪のメーカーというイメージを持っている人も少なくありません。
    確かに四輪でもとても優秀な車をたくさん輩出しており有名メーカーです。
    しかし、二輪メーカーとしても優秀であり、世界的に多くのファンを魅了し続けているメーカーでもあるのです。
    >> Honda | バイク

    ホンダは二輪の歴史が始まったのは昭和21年に浜松からです。
    創業者である本田宗一郎が陸軍で使用していた無線用の小型エンジンを改良して自転車につけて試奏したのがオートバイ製造の始まりとなったものでした。
    そこからホンダは浜松の木造バラックの機械加工工場にホンダ技術研究所を設立して原動機付自転車の製造と販売を始めたのです。

    昭和22年には既存の小型エンジンを改造するのではなく独自のエンジン開発に着手をします。
    そうして誕生したA型エンジンを積んだ原動機付自動車が完成し、エンジン組み立て工場も制作をしていくのです。

    ホンダのオートバイが生まれるまで

    原動機付自転車をホンダは生み出したもののこれだけではまだまだ性能が不十分と満足をしません。
    そのため、本格的なオートバイを製造するための研究開発に取り組み始めます。

    そこで行ったのがBMWなど外国のオートバイの研究です。
    ただ機種情報を調べるのではなくすべてを分解してその構造を調べ、研究開発をしていきます。
    そうして昭和24年にドリーム号という本格的なオートバイがホンダから誕生したのでした。

    さらに研究開発を進め、昭和27年にはホンダはオートバイの全国展開を進めるために本社を浜松から東京に移転します。
    移転の最中にも白いタンクで赤いエンジンカバーのカブF型が生産され一躍脚光を集めます。

    このカブF型は自転車に簡単に取り付けることができるため女性でも気軽に運転ができる原動機付自転車でした。
    これは全国から注文が殺到し爆発的に売れ業界全生産の70パーセントを占めるほどの売れ行きを記録したものでもありました。

    このカブが流行したことで、全国にオートバイブームが起こり、たくさんのオートバイメーカーが誕生しました。
    常にこのようにホンダはすべてのオートバイ業界を牽引してきたのです。

    世界で大人気のホンダ

    ホンダはスーパーカブF型を作ったことで爆発的に利益を出したにもかかわらず、多くのバイクメーカーが誕生したことにより経営が危機的状況に陥ってしまいます。
    そのような苦境を乗り越え昭和33年には世界的に爆発的なヒットをするスーパーカブが誕生しました。

    このスーパーカブは現在まで改良を重ねながら世界で販売され続けているとても人気の機種となっています。
    このスーパーカブを作り出したホンダの取り組みは世界的に熱狂的なホンダファンを生み出すきっかけともなったものです。
    今ではホンダの活動に夢を持ちあこがれて入社してくる若者も多くなりましたし、海外でもホンダのバイクに乗ることにあこがれている若者も多くいます。